ぐんまこどもの夢大賞

第27回 ぐんまこどもの夢大賞 童話部門・最優秀賞


「幸せな光景」 作/岡田紗季さん (玉村町立玉村中学校 3年)

 

「おじいちゃん、おばあちゃん。こんにちは」

元気よく挨拶すると、私に気付いた二人は、笑顔を見せた。木でできた扉を押すとキィと軋むような音を立てた。二人は縁側に座り、おじいちゃんは新聞を読んでいた。おばあちゃんは、猫の林檎と遊んでいたようで林檎はおもちゃを銜えている。

「あら、凛今日は早いわね。さあ、入って。ほら林檎そんなところにいたら踏まれてしまうよ」

 私はこの光景が好きだった。二人が笑っている。この光景が。

だから…この幸せな光景が壊れることなんて信じられなかった。信じたくなかった。当たり前だったはずの光景が少しずつ壊れていく。そんな音があるならば、確かに私はその音を聞いていたのだろう。

 

 

「お母さんも、もう歳だからね」

「そうだなぁ。やっぱり入院させたほうがいいんじゃないか?」

そんな会話を聞いたのは、私が高校2年生になったころだ。二人の声色は不安げで会話を聞いていた私まで不安にさせられた。

「ねぇ。何の話?」

「凛!聞いていたの?」

「うん。ねぇ。何の話?おばあちゃんが入院なんて…」

「凛…よく聞いてね。お母さんは認知症という病気なの」

「認知症って、いろんなことを忘れちゃうやつでしょ。入院なんか必要ないじゃん!」

認知症については、学校で習ったし、テレビでもたまに聞くから少しは知っている。

「凛、最近おばあちゃん家行ってないだろ」

お父さんが低い声で聞いた。

「え。うん。最近は部活とか勉強とか忙しくて…」「じゃあ、最後に行ったときおばあちゃんの様子はどうだった?」

おばあちゃんの様子?そんなのいつも通り、と答えようとしたけど口は開かなかった。最後に行ったときおばあちゃんは…

 

「おばあちゃん、おじいちゃん。こんにちは」

いつも通り挨拶すると、いつもは帰ってきたおばあちゃんの声が返ってこなかった。おばあちゃんは縁側に座っていた。そしてすぐ横には、林檎が座っていた。いつも通りの風景だ。だが、いつもと様子が少しおかしいような気がした。

「?」

「おばあちゃん、どうしたの?ボーっとしてるけど。考え事?」

おばあちゃんの肩を揺さぶるとおばあちゃんは、ハッとしたように私の目を見た。

「凛?なんでここに…」

「あれ、気づかなかった?私が来たの」

「あ、うん。ごめんね。私ももう歳だから、耳が遠くなったかな」

おばあちゃんは笑ってそういったけど、なんだか今にも泣きそうに見えた。

「何言ってんの。大丈夫だよ」

その言葉は後から考えると自分に向けて言っていたように思えた。

 おじいちゃんは買い物に出かけていたようで、家にはいなかった。それからおばあちゃんとの話に花を咲かせ時間があっという間に過ぎた。

「それでねー私が十八の頃ね」

「おばあちゃん、その話さっき聞いたよ」

「えっ?そうだったかな」

おばあちゃんは、初めて話すと思っていたようで、随分と驚いた顔をしていた。

このことを少し不安に思ったけれど「そういうこともある」と自分に言い聞かせた。

 もしかしてあの時にはもう認知症になっていた?最近おばあちゃんはボーっとすることが多くなかったか?物忘れがひどくなかったか?同じ話を何度もするようにならなかったか?

 

「お母さん。おばあちゃん本当に認知症なの?」

「この前病院で検査してもらったの。そしたら認知症だって」

お母さんは、少し寂しげに呟いた。

「なんで!なんで教えてくれなかったの?」

「凛。ちょっと落ち着きなさい」

お父さんの声は、落ち着いていてそれが余計にイラついた。

「そうよ。それに知らせなかったのは、お母さんからそう頼まれたからなの」

「えっ?おばあちゃんから?」

私は、爆発しそうになっていた怒りが急に静まるのを感じた。

「なんでそんなこと…」

「それはお母さんに直接聞きなさい」

 

 静かな病室にガラガラと、扉を開ける音が響いた。

「おばあちゃん?」

病室のカーテンを静かに引くとおばあちゃんの顔が見えた。だが小さく寝息を立て、寝ているようだった。その寝顔を見て私は、なぜかホッとした。

「おばあちゃん。本当に認知症なの?違うよね。おばあちゃんが」

「認知症だよ」

私の言葉を遮ったのは寝ていると思っていたはずのおばあちゃんだった。

「ねぇ、凛。ほんとは…気付いてたのよね。私が認知症だって」

私は、おばあちゃんが起きていたということよりもその言葉に唖然としてしまった。

「えっ?」

気付いていた?私が?そんなことない。だってお母さんに聞いて初めて知ったのだから。頭の中でいろんなことを考えているとおばあちゃんが口を開いた。

「だって…もしかしたらって思うことはきっとあったんじゃない?」

「…っ」

そうだ確かにあれ?と思うようなことが多くあった。それなのに私は知らなかったふりをした。無意識だったのかもしれない。でも、私がもっと早くに伝えていれば入院、とまではいかなかったかもしれない。

「おばあちゃん。ごめん」

思わずそういった私におばあちゃんは、笑って「大丈夫。大丈夫」と言った。それを聞いて私は泣きそうになってしまった。本当は、おばあちゃんのほうがつらいはずなのに。おばあちゃんはこんなにも私を優しく暖かく包んでくれる。涙目になっていることが知られないように病室を出ようとした。だが病室を出る前に私の服の袖がグッと引っ張られた。

「凛」

おばあちゃんが優しい声で言った。その言葉で私はさらに泣きそうになった。

私は、無理矢理に笑顔を作って振り向き、

「また来るね」

そう言った。おばあちゃんは柔らかく微笑んでいた。

「無理しないでね」

そういって目を閉じ、しばらくすると寝息を立て始めた。

私は、その言葉を聞いて自分の感情が抑えきれなくなった。涙があふれた。嗚咽が抑えられずに口から洩れた。病院でなくわけにはいかないから唇を噛みしめ声を殺して泣いた。

 

 おばあちゃんが認知症だということを知って2年がたった。おばあちゃんの容体は、あれから坂道を転げ落ちるように悪くなった。おばあちゃんは、私のことをおぼろげにしか覚えていないようで最近は名前を呼ばれなくなった。それでも呼ぼうとしているのがわかるから、私は自分から「凛だよ」と名前を言う。最初の頃はそれが少し苦しくもあったけど今では笑顔で話せるようになった。

 私は毎日おばあちゃんに会いに病院に行っている。もしかしたら…もしかしたら明日病院に行ったら私の名前だけじゃなく、私自身を忘れているかもしれない。そんな不安を抱えながら。

 

 もう私が大好きな光景はなくなってしまったのかもしれない。

 

「おばあちゃん。こんにちは」

「こんにちは。…凛」

おばあちゃんは、やっぱりすぐには私の名前が出てこないようで言葉に詰まらせている。それでもおばあちゃんは笑顔だった。その笑顔が私には偽物のように思えて心から笑って話せなかった。

 

 今日はおじいちゃんも、おばあちゃんに会いに病院に来ていたようで、二人の笑い声が耳に入ってきた。私は、少し扉を開けるのをためらいながらもゆっくりと開けた。

二人の姿を見てあることに気が付いた。おばあちゃんとおじいちゃんがいて、二人が笑っている。その姿が縁側に座って話す二人の姿に重なった。

ああ。そうか。なくなってなんかなかった。あの幸せな光景は、なくならない。ここに確かにあるんだ。

私は、笑う二人に向けて鼻声になりながら声を出した。

「二人で何話してるの?」

と、心からの笑顔で。